アイルランド人に和菓子を渡したら… [英語留学(ダブリン2000)]
2000年1月8日 夜
(記載無し)
下手な英語で書いた日記には残っていないが、あれは忘れもしない最初の夕食の直後だった。
筆者が到着直後に、奥さんのヒラリーに渡した手土産の和菓子の詰め合わせ。これが食後のデザートとしてテーブルに登ったのだ。ホストファミリーは夫婦そろって紅茶のティーバッグをマグカップに入れた。
「K, what would you like? Tea or coffee?」
筆者は今も昔もコーヒー党なのだが、どうやらインスタントしかないようだから、夫妻にならって紅茶をお願いした。ティーバッグをマグカップに入れ、ミルクが次に入ったときびっくりした。そしてそのあと電気ケトルのお湯。これがアイリッシュの紅茶の入れ方なのか? とは思わず、「あとでミルクを入れるよりも美味しいのだろうか?」と思ってしまった自分がなかなかいい感じだったと思う。
それはそうと、けっこう長い事ホストファミリーをやっているということなので、和菓子なんか日本人の留学生が沢山持ってきているのではないだろうか、と思ったがどうやらヒラリーは初めてだったようだ。5歳のクリストファーと3歳のジュディも初めてだという。お父さんのマイケルだけが例外で、昔どこかで食べたかのようなことを言っていたが、彼が「昔、旅行していたとき…」と話をすると、ヒラリーが「マイクは世界中旅してるのよ、私とめぐり会ったのもそのおかげだったの」と嬉しそうに話をそらしてしまったので、マイクが和菓子をどこで食べたか聞きそびれてしまった。
さて、この時筆者が持っていったのは、中に餡の入った小振りなおまんじゅうの詰め合わせだった。出がけに関西空港で土壇場に買ったものである。説明を求められると思ったが、ヒラリーは興味津々だったらしく、すぐ袋から出して食べ始めた。そして、真面目な顔で噛んで、最初の一口を飲み込むとこう言った。
「このジャム、美味しいわ」
ジ
ャ
ム
?
一瞬何かと聞き間違ったのかと思ったが、どうやら餡のことを言っているのだとわかった。
「何のジャム?」と追い打ちをかけてくるヒラリー。ここでさっき用意していたが不発だった「beans」という答えを改めて出す筆者。「へえー、豆ねえ」と言うと、ヒラリーはさっきよりやわらかい表情になって残りを口に放り込んだ。「I like it」それを聞いたクリストファーはもう我慢できないようで、こう言った。
「モミー、I want that」
も
み
ぃ
?
あっそうか、アイルランド英語ではMondayがモンデイ、moneyはモねー。だから、mommyはモミーになるんだ。ひとりで黙って感動している筆者を尻目に、ヒラリーから饅頭を受け取って、一口食べるクリストファー。
「うえー」
出してしまった。アイルランドでも、いまどきの子供には小豆餡の味はわからないのか? などと思いはしなかったが、とにかくクリストファーは飲み込まなかった饅頭の残骸を、ヒラリーに助けてもらってゴミ箱に入れた。それを見ていた妹のジュディは「いらない」という反応。「私はもう一つ食べるわ、マイクは?」とヒラリー。マイケルの答えは「No thank you」。明日食べるよ、みたいなことを言っていたが、本当だろうか。それからしばらくは、和菓子と紅茶を囲んで、職業とか大学の専攻に関する質問に、たどたどしい英語で頑張って答えていった。そして就寝時間になった。と言ってもまだ8時くらいだったが、子供を寝かしつけないといけないのだという。ヒラリーがクリストファーとジュディを二階に連れていこうと席を立ったとき。ああ、自分はその瞬間を一生忘れない。現に10年と3ヶ月経っても覚えているぞ。
ヒラリーは、クリストファーがちょっとかじったままでテーブルに残していた饅頭を、無造作につまんでゴミ箱に放り込んだのだった。
「Good night K, see you in the morning」
平静を装っておやすみと言う筆者。日本なら子供が食べなかったら親が怒るし、どうしても食べなかったら親が食べるだろう。いくらなんでも持ってきた本人の前でゴミ箱行きというのはありえない。恐るべしアイルランド、じゃがいも飢饉で大勢の餓死者と移民者を出した歴史があるから、食べ物を大事にする国民性だと思い込んでいたが、全然違っていた。やはり百聞は一見にしかず。いやまてよ、この一家が特別なのかもしれないぞ。
その日はそう思っておくと気が楽なので、「アイルランド人は食べ物を粗末にするかどうか」を今後、見極めようと決意して部屋に向かった。シャワーを浴びさせてもらい、ベッドに入ると布団はかなり薄かった。ベッドヘッドにかかっていた毛布をかけてみたが、これもなんだか軽くて薄くて心もとない。だが、とりあえず寝てみた。これがアイルランド留学生活の初日だった。
(記載無し)
下手な英語で書いた日記には残っていないが、あれは忘れもしない最初の夕食の直後だった。
筆者が到着直後に、奥さんのヒラリーに渡した手土産の和菓子の詰め合わせ。これが食後のデザートとしてテーブルに登ったのだ。ホストファミリーは夫婦そろって紅茶のティーバッグをマグカップに入れた。
「K, what would you like? Tea or coffee?」
筆者は今も昔もコーヒー党なのだが、どうやらインスタントしかないようだから、夫妻にならって紅茶をお願いした。ティーバッグをマグカップに入れ、ミルクが次に入ったときびっくりした。そしてそのあと電気ケトルのお湯。これがアイリッシュの紅茶の入れ方なのか? とは思わず、「あとでミルクを入れるよりも美味しいのだろうか?」と思ってしまった自分がなかなかいい感じだったと思う。
それはそうと、けっこう長い事ホストファミリーをやっているということなので、和菓子なんか日本人の留学生が沢山持ってきているのではないだろうか、と思ったがどうやらヒラリーは初めてだったようだ。5歳のクリストファーと3歳のジュディも初めてだという。お父さんのマイケルだけが例外で、昔どこかで食べたかのようなことを言っていたが、彼が「昔、旅行していたとき…」と話をすると、ヒラリーが「マイクは世界中旅してるのよ、私とめぐり会ったのもそのおかげだったの」と嬉しそうに話をそらしてしまったので、マイクが和菓子をどこで食べたか聞きそびれてしまった。
さて、この時筆者が持っていったのは、中に餡の入った小振りなおまんじゅうの詰め合わせだった。出がけに関西空港で土壇場に買ったものである。説明を求められると思ったが、ヒラリーは興味津々だったらしく、すぐ袋から出して食べ始めた。そして、真面目な顔で噛んで、最初の一口を飲み込むとこう言った。
「このジャム、美味しいわ」
ジ
ャ
ム
?
一瞬何かと聞き間違ったのかと思ったが、どうやら餡のことを言っているのだとわかった。
「何のジャム?」と追い打ちをかけてくるヒラリー。ここでさっき用意していたが不発だった「beans」という答えを改めて出す筆者。「へえー、豆ねえ」と言うと、ヒラリーはさっきよりやわらかい表情になって残りを口に放り込んだ。「I like it」それを聞いたクリストファーはもう我慢できないようで、こう言った。
「モミー、I want that」
も
み
ぃ
?
あっそうか、アイルランド英語ではMondayがモンデイ、moneyはモねー。だから、mommyはモミーになるんだ。ひとりで黙って感動している筆者を尻目に、ヒラリーから饅頭を受け取って、一口食べるクリストファー。
「うえー」
出してしまった。アイルランドでも、いまどきの子供には小豆餡の味はわからないのか? などと思いはしなかったが、とにかくクリストファーは飲み込まなかった饅頭の残骸を、ヒラリーに助けてもらってゴミ箱に入れた。それを見ていた妹のジュディは「いらない」という反応。「私はもう一つ食べるわ、マイクは?」とヒラリー。マイケルの答えは「No thank you」。明日食べるよ、みたいなことを言っていたが、本当だろうか。それからしばらくは、和菓子と紅茶を囲んで、職業とか大学の専攻に関する質問に、たどたどしい英語で頑張って答えていった。そして就寝時間になった。と言ってもまだ8時くらいだったが、子供を寝かしつけないといけないのだという。ヒラリーがクリストファーとジュディを二階に連れていこうと席を立ったとき。ああ、自分はその瞬間を一生忘れない。現に10年と3ヶ月経っても覚えているぞ。
ヒラリーは、クリストファーがちょっとかじったままでテーブルに残していた饅頭を、無造作につまんでゴミ箱に放り込んだのだった。
「Good night K, see you in the morning」
平静を装っておやすみと言う筆者。日本なら子供が食べなかったら親が怒るし、どうしても食べなかったら親が食べるだろう。いくらなんでも持ってきた本人の前でゴミ箱行きというのはありえない。恐るべしアイルランド、じゃがいも飢饉で大勢の餓死者と移民者を出した歴史があるから、食べ物を大事にする国民性だと思い込んでいたが、全然違っていた。やはり百聞は一見にしかず。いやまてよ、この一家が特別なのかもしれないぞ。
その日はそう思っておくと気が楽なので、「アイルランド人は食べ物を粗末にするかどうか」を今後、見極めようと決意して部屋に向かった。シャワーを浴びさせてもらい、ベッドに入ると布団はかなり薄かった。ベッドヘッドにかかっていた毛布をかけてみたが、これもなんだか軽くて薄くて心もとない。だが、とりあえず寝てみた。これがアイルランド留学生活の初日だった。
ダブリンのホストファミリー宅に到着 [英語留学(ダブリン2000)]
2000年1月8日(土) 午後の日記
ホストファミリー
マイケル:大柄な、髭の男性。イングランド人。サッカーとジェイムソン(ウィスキー)が好き
ヒラリー:すらっとした若い女性。アイルランド人。マナーには厳しい
クリス:5歳半の男の子。内気(この日だけ)
ジュディ:3歳の女の子。元気いっぱい。
赤ちゃん:まだ3ヶ月の女の子(レイチェル)
モグジー:ペットの大型犬(♀)。高齢? おとなしい
到着後、晩の8時頃に着いて、ちょっと話をする。まず、食事の前には何と言えばいいか聞いた。答えは、特になにも言わなくていい、とのこと。食べ終わった時には「Thank you」か、それに類することを言うと丁寧だということ。なお、食事の前にお祈りをする家庭もあるが、この家はそうではないとのこと。それを聞いて安心した。
タクシーから降りて最初に出迎えてくれたのは、奥さんのヒラリーだった。アメリカの当時のファーストレディ(Hillary Clinton)と同じ名前だから違和感はなかったが、LとRが混在しているので、部屋に案内された後でちゃんと発音できるようにこっそり練習したものである。最初の「ラ」で下を上の前歯の裏につけて発音し、最後の「リー」では舌を奥に戻す。頭ではわかっていても体(舌)がなかなか思ったように動いてくれないのは困るなあ、英語と言う語学を学びたいのに、妙な障害があるものだ。その時はそんなふうに思ったものだが、実際これは語学を習得する際のかなり重大な障害だと後に確信したものだが、この記録はかつての筆者の日記に合わせて書いていきたいので、これについては後ほど書く事にしよう。
部屋は大きくはないものの、新しくて雰囲気も良かった。壁には5枚も絵が飾ってあって、窓からはさっきタクシーを降りた前庭と、前の通りが見える。この家のある並びは似たような家が規則的に並んでいるが、向かい側には多少大振りな家が不規則に並んでいた。向こう側は昔からある家で、こちら側は一度にまとめて建ったかのようだ。壁にはそれ以外に、たてに長い鏡がかかっていて、その横にチェストが置いてある。幅1メートル半、高さ1メートルくらいで、3段の引き出しがついている。その横にはクローゼット。もちろんベッドもあり、椅子もあって、本のぎっしり入った本棚まであった。後で聞くが、ホストファーザーのマイクが大変な読書家なのである。最後に、壁に暖房の装置が着いていた。ヨーロッパではよくあるセントラル・ヒーティングだ。ベッドとセントラル・ヒーティング以外の家具は黒で統一されているのが印象的だった。
↑一家のおにいちゃんクリス。今もう16歳のはず。右側にある白いのがセントラルヒーティング。
部屋で荷解きをしたりして、階下に降りると、そろそろ夕食時らしく、ヒラリーがキッチンで料理をしていた。長男のクリストファー(5歳半)は怖いのかそれとも照れているのか、お母さんに隠れるようにしていた。長女のジュディ(3歳)はもっとフレンドリーだが、それほど仲良くはしてくれない模様。それよりも、3ヶ月前に生まれたばかりの妹、レイチェルから、お母さんの興味を引きはがそうと努力しているのが良くわかった。子供はどこの国でも同じなんだなあ。いや、そう決めつけるのは早計かもしれない。せっかくアイルランド人の家庭に長々と住まわせてもらうんだ、じっくり見てから結論を出そう。
やがてホストファーザーのマイクが帰ってきた。自転車でダブリン市内まで通勤しているということで、汗ばんでいた。「Daddy!!」と子供たちがマイクの大きな体に飛びついていく。先ほどから目で合図してくれていたのだが、子供たちとひとしきり再会の挨拶を交わすと、いよいよ自己紹介となった。
「Nice to meet you, Mr Cox. My name is K」
日本の学校では「初めまして」は「How do you do」だと教わったが、この前年のアイルランド旅行の時にアイルランドの人は「Nice to meet you」としか言わないことに気付いていたので、それに倣ってみた。
「Hi K, pleased to meet you. Please call me Michael」
一瞬あれっ、と思ったのは奥さんのヒラリーは彼の事を「マイク」と言っていたのに、彼自身は「マイケルと呼んでくれ」と言ったからだった。本人が言う事だし、彼の事はマイケルと呼ぶことにしよう。
さてマイケルが二階に登って、着替えて降りて来ると、ほどなくディナータイムとなった。広々としたキッチンの、大きなオーブンからスティック状のものと、大ぶりなフライドポテトが取り出された。ガスコンロの方には小振りな鍋の中で、グリーンピーズが茹でられていた。一枚の皿に乗ったチキンスティック、チップス、豆。これがその日の夕食だった。
チキンスティックは鶏肉を棒状にして衣をつけたものだと思う。これをオーヴンで焼いて完成というわけだ。育児で大変なはずなのに、俺が来るからけっこう手をかけてくれたんだなあ、と思ったが実はスーパーで買う時点ですでに衣は付いている事が判明した。ちなみに大振りなフライドポテトこと、チップス chips も冷凍もので、オーヴンで焼けば出来上がりだそうである。新鮮なのは豆だけか、と思ったが豆も冷凍だったり。育児で忙しいから仕方ないのかもしれない。
マイケルは冷蔵庫からギネス・ビールの缶を出して、樽のような形のコップに自分で注いだ。日本なら全部奥さんにやってもらっても不思議ではないが、ここはアイルランド。日本のしきたりにとらわれず、アイルランド人のアイルランド式をたっぷり吸収してやるぞ、と思っていたら最初の一口を飲んだマイケルがこんなことを言い出した。
「うーん、やっぱりGuinnessは美味しいねえ。僕はイングランド人だが、アイルランドのギネスは最高だよ」
ガーン。マイケルはイギリス人、もといイングランド人だったのか。思わず「oh, you are from England」(えっ、イングランドの方なんですか)と聞き直してしまった。自分が驚いたのがわかったのか、ヒラリーも話に参加してきた。
「そうなのよ。マイクはイングランド人なの」
じゃああなたは? と聞くと、ヒラリーは「私はダブリン生まれのダブリン育ち」と言った。大学で習ったアイルランドの歴史によると、16世紀にアイルランドは英国(ヘンリー八世)に征服され、以後20世紀に至るまで支配下にあった。そのため北アイルランドはまだ英国領で、紛争もあるし、アイルランド映画の『ライアンの娘』ではアイルランド人と英国人の確執が生々しく描かれていた。だからまさかアイルランド共和国の人とイングランドの人が結婚して、ダブリンに家庭を構えようなんて、筆者には想像もできなかったのだ。
もちろん当時の英語力ではそんな事説明できっこないのだが、できなくて良かったと思う。ホームステイ初日には重すぎる話題だから。それにしても、ご夫妻はゆっくり簡潔に話してくれるからわかりやすいのだが、マイケルが話す時には妙な癖があって聞き取りにくい。アイルランド訛りが、外国人にはわかりにくいだろうとアイルランド人は冗談めかして言う事があるが、まさか英語の本場であるイングランド人にも訛りがあるんだろうか? これは本人に聞くのはあまりにも失礼だから、学校に行きだしたら先生に聞いてみることにした。
それにしても、ショックを受けることが多くて素晴らしい! いやほんとに。こんなこと、日本に居れば絶対にわからないだろう。
初日からやっぱりいいなあ、と思っていたが、実はこのあともまだちょっとあるのだった。
(続きます)
ホストファミリー
マイケル:大柄な、髭の男性。イングランド人。サッカーとジェイムソン(ウィスキー)が好き
ヒラリー:すらっとした若い女性。アイルランド人。マナーには厳しい
クリス:5歳半の男の子。内気(この日だけ)
ジュディ:3歳の女の子。元気いっぱい。
赤ちゃん:まだ3ヶ月の女の子(レイチェル)
モグジー:ペットの大型犬(♀)。高齢? おとなしい
到着後、晩の8時頃に着いて、ちょっと話をする。まず、食事の前には何と言えばいいか聞いた。答えは、特になにも言わなくていい、とのこと。食べ終わった時には「Thank you」か、それに類することを言うと丁寧だということ。なお、食事の前にお祈りをする家庭もあるが、この家はそうではないとのこと。それを聞いて安心した。
タクシーから降りて最初に出迎えてくれたのは、奥さんのヒラリーだった。アメリカの当時のファーストレディ(Hillary Clinton)と同じ名前だから違和感はなかったが、LとRが混在しているので、部屋に案内された後でちゃんと発音できるようにこっそり練習したものである。最初の「ラ」で下を上の前歯の裏につけて発音し、最後の「リー」では舌を奥に戻す。頭ではわかっていても体(舌)がなかなか思ったように動いてくれないのは困るなあ、英語と言う語学を学びたいのに、妙な障害があるものだ。その時はそんなふうに思ったものだが、実際これは語学を習得する際のかなり重大な障害だと後に確信したものだが、この記録はかつての筆者の日記に合わせて書いていきたいので、これについては後ほど書く事にしよう。
部屋は大きくはないものの、新しくて雰囲気も良かった。壁には5枚も絵が飾ってあって、窓からはさっきタクシーを降りた前庭と、前の通りが見える。この家のある並びは似たような家が規則的に並んでいるが、向かい側には多少大振りな家が不規則に並んでいた。向こう側は昔からある家で、こちら側は一度にまとめて建ったかのようだ。壁にはそれ以外に、たてに長い鏡がかかっていて、その横にチェストが置いてある。幅1メートル半、高さ1メートルくらいで、3段の引き出しがついている。その横にはクローゼット。もちろんベッドもあり、椅子もあって、本のぎっしり入った本棚まであった。後で聞くが、ホストファーザーのマイクが大変な読書家なのである。最後に、壁に暖房の装置が着いていた。ヨーロッパではよくあるセントラル・ヒーティングだ。ベッドとセントラル・ヒーティング以外の家具は黒で統一されているのが印象的だった。
↑一家のおにいちゃんクリス。今もう16歳のはず。右側にある白いのがセントラルヒーティング。
部屋で荷解きをしたりして、階下に降りると、そろそろ夕食時らしく、ヒラリーがキッチンで料理をしていた。長男のクリストファー(5歳半)は怖いのかそれとも照れているのか、お母さんに隠れるようにしていた。長女のジュディ(3歳)はもっとフレンドリーだが、それほど仲良くはしてくれない模様。それよりも、3ヶ月前に生まれたばかりの妹、レイチェルから、お母さんの興味を引きはがそうと努力しているのが良くわかった。子供はどこの国でも同じなんだなあ。いや、そう決めつけるのは早計かもしれない。せっかくアイルランド人の家庭に長々と住まわせてもらうんだ、じっくり見てから結論を出そう。
やがてホストファーザーのマイクが帰ってきた。自転車でダブリン市内まで通勤しているということで、汗ばんでいた。「Daddy!!」と子供たちがマイクの大きな体に飛びついていく。先ほどから目で合図してくれていたのだが、子供たちとひとしきり再会の挨拶を交わすと、いよいよ自己紹介となった。
「Nice to meet you, Mr Cox. My name is K」
日本の学校では「初めまして」は「How do you do」だと教わったが、この前年のアイルランド旅行の時にアイルランドの人は「Nice to meet you」としか言わないことに気付いていたので、それに倣ってみた。
「Hi K, pleased to meet you. Please call me Michael」
一瞬あれっ、と思ったのは奥さんのヒラリーは彼の事を「マイク」と言っていたのに、彼自身は「マイケルと呼んでくれ」と言ったからだった。本人が言う事だし、彼の事はマイケルと呼ぶことにしよう。
さてマイケルが二階に登って、着替えて降りて来ると、ほどなくディナータイムとなった。広々としたキッチンの、大きなオーブンからスティック状のものと、大ぶりなフライドポテトが取り出された。ガスコンロの方には小振りな鍋の中で、グリーンピーズが茹でられていた。一枚の皿に乗ったチキンスティック、チップス、豆。これがその日の夕食だった。
チキンスティックは鶏肉を棒状にして衣をつけたものだと思う。これをオーヴンで焼いて完成というわけだ。育児で大変なはずなのに、俺が来るからけっこう手をかけてくれたんだなあ、と思ったが実はスーパーで買う時点ですでに衣は付いている事が判明した。ちなみに大振りなフライドポテトこと、チップス chips も冷凍もので、オーヴンで焼けば出来上がりだそうである。新鮮なのは豆だけか、と思ったが豆も冷凍だったり。育児で忙しいから仕方ないのかもしれない。
マイケルは冷蔵庫からギネス・ビールの缶を出して、樽のような形のコップに自分で注いだ。日本なら全部奥さんにやってもらっても不思議ではないが、ここはアイルランド。日本のしきたりにとらわれず、アイルランド人のアイルランド式をたっぷり吸収してやるぞ、と思っていたら最初の一口を飲んだマイケルがこんなことを言い出した。
「うーん、やっぱりGuinnessは美味しいねえ。僕はイングランド人だが、アイルランドのギネスは最高だよ」
ガーン。マイケルはイギリス人、もといイングランド人だったのか。思わず「oh, you are from England」(えっ、イングランドの方なんですか)と聞き直してしまった。自分が驚いたのがわかったのか、ヒラリーも話に参加してきた。
「そうなのよ。マイクはイングランド人なの」
じゃああなたは? と聞くと、ヒラリーは「私はダブリン生まれのダブリン育ち」と言った。大学で習ったアイルランドの歴史によると、16世紀にアイルランドは英国(ヘンリー八世)に征服され、以後20世紀に至るまで支配下にあった。そのため北アイルランドはまだ英国領で、紛争もあるし、アイルランド映画の『ライアンの娘』ではアイルランド人と英国人の確執が生々しく描かれていた。だからまさかアイルランド共和国の人とイングランドの人が結婚して、ダブリンに家庭を構えようなんて、筆者には想像もできなかったのだ。
もちろん当時の英語力ではそんな事説明できっこないのだが、できなくて良かったと思う。ホームステイ初日には重すぎる話題だから。それにしても、ご夫妻はゆっくり簡潔に話してくれるからわかりやすいのだが、マイケルが話す時には妙な癖があって聞き取りにくい。アイルランド訛りが、外国人にはわかりにくいだろうとアイルランド人は冗談めかして言う事があるが、まさか英語の本場であるイングランド人にも訛りがあるんだろうか? これは本人に聞くのはあまりにも失礼だから、学校に行きだしたら先生に聞いてみることにした。
それにしても、ショックを受けることが多くて素晴らしい! いやほんとに。こんなこと、日本に居れば絶対にわからないだろう。
初日からやっぱりいいなあ、と思っていたが、実はこのあともまだちょっとあるのだった。
(続きます)
3度目のダブリン到着〜今度は留学生として [英語留学(ダブリン2000)]
2000年1月8日(土)
ダブリン空港に着いて、すべきことは二つ。まずは英語学校に電話、そして次にホストファミリーに電話だ。学校は誰も出なかった。ホストファミリーにはつながって、これから直接行くと言った。
1万円=69.69アイリッシュ・ポンド。手数料を引いて最終的には67.19。1アイリッシュ・ポンドはこの日143円50銭。
記憶が確かなら、この時は関空発アムステルダム経由、KLM便での到着だった。初めてアイルランドに旅行した時と同じ便だったと思う。ここ7~8年乗っていないから今はどうか知らないが、当時のKLMは乗り心地が良く、アムステルダム空港も色々な店があって見ているだけで楽しかった。(カジノもあった。度胸がなく、とても入れなかったが)
ダブリン空港での入国審査の記述が無いのは、例によって挨拶程度のゆるい審査だったからだと思う。これまでもこの後も、筆者がアイルランドに入国する時には、入国審査でもめたことがない。人によっては疑いを持たれて拘留されたりする、とも聞くが、いつも通りツイているのだ。
ところで筆者は当時23歳、一浪して大阪の4年制大学に入り、卒業しかけている状態。アルバイトは近所の遊園地のゲーム施設で3年間やっていたが、まだまだ世間知らずだった。日本の世間も知らないが、ましてやアイルランドとなるとかなりひどい。ここでも土曜日にもかかわらず、留学先のEmerald Cultural Institute に到着の報告をしようとしている。日本の英会話学校みたいに1コマ1コマ取るわけじゃなく、月曜から金曜まで週5日、朝から昼過ぎまである、いわゆるfull time courseしかやってないのだから、土曜や日曜には誰も学校にいるわけがない。しかし、「到着したら学校に一報して下さい」と連絡されていたのでやってみたのである。日本人ならここで「連絡しろと言っておいて、誰もいないとは何事か」と憤る人もいるかもしれない。土曜に電話して誰も出ないとおかしい、ましてや留学という一大事なのだから、と思うのは日本では当たり前かもしれないが、ここはアイルランド。週休2日はいたって一般的だし、遠い異国の地に独りで到着したばかりとはいえ、18歳を超えていれば立派な大人である。生まれてから自然に身に付け、知らず知らずのうちに頼ってしまう日本の常識だが、これからの生活の最大の障害にもなり得るものだと、今になって思う。
公衆電話で1ポンド使い、ダブリンのシティセンターまでバスで3ポンド。荷物は中型のバックパック一つだったし、ダブリンは3度目なのでぜひ市内を見てからホスト宅に行きたかったのだと思う。シティセンターから改めてタクシーを拾い、郊外のチャーチタウンまで約10分。50歳くらいの、白髪の目立つ運転手さんがかけていたラジオはゲール語(アイルランド語)だった。「僕は英語が第一言語なんだけど、アイルランド人だから自分の国の言葉を学びたくてね、こうして機会があれば聞いているんだけど、だんだんわかるようになってきたよ」。外国語を学びに来た日本人と、母国語を学んでいるアイルランド人。不思議な組み合わせのタクシーはチャーチタウンのヘンリー・パークに着いた。7ポンドだった。やはりというか、運転手さんは握手をしてくれた。去年行ったような片田舎でも、この首都でも、やっぱり人はアイルランド人だなあと思う。いい感じだ!
(後編に続きます)
ダブリン空港に着いて、すべきことは二つ。まずは英語学校に電話、そして次にホストファミリーに電話だ。学校は誰も出なかった。ホストファミリーにはつながって、これから直接行くと言った。
1万円=69.69アイリッシュ・ポンド。手数料を引いて最終的には67.19。1アイリッシュ・ポンドはこの日143円50銭。
記憶が確かなら、この時は関空発アムステルダム経由、KLM便での到着だった。初めてアイルランドに旅行した時と同じ便だったと思う。ここ7~8年乗っていないから今はどうか知らないが、当時のKLMは乗り心地が良く、アムステルダム空港も色々な店があって見ているだけで楽しかった。(カジノもあった。度胸がなく、とても入れなかったが)
ダブリン空港での入国審査の記述が無いのは、例によって挨拶程度のゆるい審査だったからだと思う。これまでもこの後も、筆者がアイルランドに入国する時には、入国審査でもめたことがない。人によっては疑いを持たれて拘留されたりする、とも聞くが、いつも通りツイているのだ。
ところで筆者は当時23歳、一浪して大阪の4年制大学に入り、卒業しかけている状態。アルバイトは近所の遊園地のゲーム施設で3年間やっていたが、まだまだ世間知らずだった。日本の世間も知らないが、ましてやアイルランドとなるとかなりひどい。ここでも土曜日にもかかわらず、留学先のEmerald Cultural Institute に到着の報告をしようとしている。日本の英会話学校みたいに1コマ1コマ取るわけじゃなく、月曜から金曜まで週5日、朝から昼過ぎまである、いわゆるfull time courseしかやってないのだから、土曜や日曜には誰も学校にいるわけがない。しかし、「到着したら学校に一報して下さい」と連絡されていたのでやってみたのである。日本人ならここで「連絡しろと言っておいて、誰もいないとは何事か」と憤る人もいるかもしれない。土曜に電話して誰も出ないとおかしい、ましてや留学という一大事なのだから、と思うのは日本では当たり前かもしれないが、ここはアイルランド。週休2日はいたって一般的だし、遠い異国の地に独りで到着したばかりとはいえ、18歳を超えていれば立派な大人である。生まれてから自然に身に付け、知らず知らずのうちに頼ってしまう日本の常識だが、これからの生活の最大の障害にもなり得るものだと、今になって思う。
公衆電話で1ポンド使い、ダブリンのシティセンターまでバスで3ポンド。荷物は中型のバックパック一つだったし、ダブリンは3度目なのでぜひ市内を見てからホスト宅に行きたかったのだと思う。シティセンターから改めてタクシーを拾い、郊外のチャーチタウンまで約10分。50歳くらいの、白髪の目立つ運転手さんがかけていたラジオはゲール語(アイルランド語)だった。「僕は英語が第一言語なんだけど、アイルランド人だから自分の国の言葉を学びたくてね、こうして機会があれば聞いているんだけど、だんだんわかるようになってきたよ」。外国語を学びに来た日本人と、母国語を学んでいるアイルランド人。不思議な組み合わせのタクシーはチャーチタウンのヘンリー・パークに着いた。7ポンドだった。やはりというか、運転手さんは握手をしてくれた。去年行ったような片田舎でも、この首都でも、やっぱり人はアイルランド人だなあと思う。いい感じだ!
(後編に続きます)
再会、ダブリン [英語留学(ダブリン2000)]
北アイルランド随一の名所、「巨人の道」を見ず、州都ベルファストでも何も見ず、ダブリンに直帰することにした。
こんな胸糞悪い場所にもう一晩でも長くいられるものか、と思い込んでいた。
久々のダブリンと、国際ユースホステルは妙な感じがした。
まるで古巣に帰ってきたかのような。
廊下でふと、あのベルギー人とばったり会った。
「おお、君は・・・ダブリンに帰って来たんだね」
「うん、でももうすぐ出発なんだ。そっちこそ、まだここに居るんだ」
「ああ、今別なホステルで仕事をしているんだが、ここの方が宿代が安いからね。
あと、仕事場で寝起きするのはどうも性に合わない。
家を探しているんだが、なかなか見つからない」
そんな会話が交わされた数時間後、我々は自然とホステルの近くのパブでビールを飲んでいた。
「・・・・ってわけでさあ、そいつらがまたうるさいんだ。“Fuck”と“Jesus”しか言わない」
そう自分が言うと、太っちょのベルギー人ピーターはすかさずこう言った。
「じゃあ連中は“Fucking Jesus Christ”って言ってたんだな」
場が一気に盛り上がった。「このクソイエス・キリストが!」と言う意味だ。そりゃ盛り上がるわけだ。
笑い。
単純ながら、何て重要な会話のエッセンスなんだろう。自分は今までそんなことにすら気づかなかった。
英語だろうがなんだろうが、会話は会話、人間同士がするものだ。そこには笑いがあればあるほどいい。
しかし、いざ「笑わせないと」と思うと、それがかえってプレッシャーになるのだった。
ベルギー人二人が明日は早番ということで宴はほどなく終了し、自分は満ち足りた気分で床に着いた。
異国の首都ダブリン。この懐かしさはなんなんだろう。
こんな胸糞悪い場所にもう一晩でも長くいられるものか、と思い込んでいた。
久々のダブリンと、国際ユースホステルは妙な感じがした。
まるで古巣に帰ってきたかのような。
廊下でふと、あのベルギー人とばったり会った。
「おお、君は・・・ダブリンに帰って来たんだね」
「うん、でももうすぐ出発なんだ。そっちこそ、まだここに居るんだ」
「ああ、今別なホステルで仕事をしているんだが、ここの方が宿代が安いからね。
あと、仕事場で寝起きするのはどうも性に合わない。
家を探しているんだが、なかなか見つからない」
そんな会話が交わされた数時間後、我々は自然とホステルの近くのパブでビールを飲んでいた。
「・・・・ってわけでさあ、そいつらがまたうるさいんだ。“Fuck”と“Jesus”しか言わない」
そう自分が言うと、太っちょのベルギー人ピーターはすかさずこう言った。
「じゃあ連中は“Fucking Jesus Christ”って言ってたんだな」
場が一気に盛り上がった。「このクソイエス・キリストが!」と言う意味だ。そりゃ盛り上がるわけだ。
笑い。
単純ながら、何て重要な会話のエッセンスなんだろう。自分は今までそんなことにすら気づかなかった。
英語だろうがなんだろうが、会話は会話、人間同士がするものだ。そこには笑いがあればあるほどいい。
しかし、いざ「笑わせないと」と思うと、それがかえってプレッシャーになるのだった。
ベルギー人二人が明日は早番ということで宴はほどなく終了し、自分は満ち足りた気分で床に着いた。
異国の首都ダブリン。この懐かしさはなんなんだろう。