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ブラックロック・マーケットで買い物 [ダブリン観光(2000)]

2000年1月9日(日曜)
早く起きた。8時。ちょっと寒かったが、カゼなんかはひいてないのでよかった。3歳の娘さん、ジュディに改めてごあいさつ。とても元気な子で、お兄ちゃんのクリストファーと一緒になるとすごい騒ぎになる。
朝食はシンプルなコンティネンタルブレックファースト。シリアルに牛乳とフルーツジュース、あとコーヒー。食べたが早いか、子供たちとの戦いに巻き込まれた。…

judy.jpg

昨日はもう遅かったのでほとんど何も交流がなかったジュディちゃん3歳。日記によると、起きぬけに「遊んで攻撃」を受けたらしい。お母さんのヒラリーが、「3歳はいちばんhyper(ハイパー=すごい)」みたいなことを言っていたのをよく覚えている。そこに当然、クリストファー6歳も入ってきてえらい騒ぎだった。ヒラリーとマイケルは手分けして、ふたりの子供と赤ちゃん(レイチェル)の朝食をなんとかする。筆者は英語を話して練習したいところだが、あまりにも忙しそうなので声をかけられない。そうこうしているうちに子供たちの食事はすぐ終わり、筆者に矛先が向いたのだった。ところで筆者は子供とあまり縁がなく、英語もあまり知らなかったが、遊んであげることはできた。なぜなら、何を「して」と要求されているのかはだいたいわかったし、こっちがわからなくても直接やるから(例=肩に登ろうとする)

喧噪の中、なんとかヒラリーにCity Centreへ行くバスの番号を聞き出して、子供たちを振り切ってホスト宅を出た。海外ドラマに出てきそうな住宅の建ち並ぶ通りを歩いて抜け、交通量の多い通りに出ると、すぐ左手にバス停があった。

henleypark.jpg
(↑Google Mapより。ホスト宅はもうちょっと左側、バス停は右上の方。なおヘンレイパークではなくヘンリーパーク)

バス代は1ポンドちょうどだった。二階建てのバスの二階に腰を下ろすと、いい感じの住宅地が窓から見える。そこをスイスイ走ると、建物が多くなってきて、乗客も増えてきた。やがて見覚えのあるセント・スティーヴンス・グリーンが見えたので、このへんで降りれば大丈夫だと思って降りた。

まずはDawson Streetを北に歩いて、リフィー川に面したAston QuayにあるUSITのオフィスを目指した。ここは学生向けの旅行会社で、国際学生証も作ってくれる。留学第一歩の記念に、留学先の「Emerald Cultural Institute」の名前の入った国際学生証を作ってもらおうと思ったのだが、残念ながら日曜は休みだった(ちなみに10年経った今でも日曜は休みのようだ)。まあいいや、と思ってリフィー川にかかる橋を渡り、オコンネル通りへ。ダブリンのメインストリートとも言えるところで、前に旅行に来た時にはあてもなくこの通りを登ったり下ったりして楽しんだものだった。

ここにはEason'sという大きな書店があって、その上の階に「Muse Cafe」という感じのいいカフェが入っていたのだが、1999年の夏の終わりごろには改装工事をしていた。あれから半年、きっともう工事も終わっているだろうから、新しい店内でコーヒーでも飲もうと思っていたのだが、そこは日曜、まだ開店前だった。日曜は昼かららしい。またまた残念。

それにしてもちょっと冷えるなあ。よし、服でも買いに行くか。そう思った筆者が目指したのは、1999年の春に他の日本人旅行者にもらった「地球の歩き方」に出ていたマーケットのひとつである。前回の旅行では町中にある古着屋でけっこういい思いをさせてもらったので、今回は郊外にあるところに行く事にした。その名も、Blackrock Market - ブラックロック・マーケット。「ブラックマーケット」ではないので注意が必要だ(←当たり前だ)

マーケットのあるブラックロックまでは電車でほんの少し。前回も乗った事のあるDARTという電車に乗って、南へ向かう。

特に何事もなくブラックロック駅に着き、歩いてマーケットの前まで行ってみると、まだオープン前だった。

450px-Blackrock_Market.JPG
(↑Wikipedia「Blackrock」より)

すぐ横にカフェがあったので、これ幸いと入ってコーヒーを頼む筆者。一杯たったの90ペンスだと思うと、さらに美味い。ところが飲んでいると、アジア人の若い女性が入ってきた。こんな郊外にアジア人? と一瞬びっくりしたのだが、それだけではなく、彼女は店の人に、ぺらぺらぺらっと挨拶とオーダーをして、お金を払って去って行った。全部は聞き取れなかったが、どうやらランチを予約したようだった。すごく流暢な英語だった。いったい何人なんだろう? どうやって英語を学んだんだろう? 興味津々の筆者だったが、マーケットに入ると彼女は中国風の品物がたくさん並んだお店で働いていることがわかった。いろいろ聞きたいところだが、中国風の品物には興味はなかったし、働いている人に雑談をしかけることはできない筆者であった。10年後の自分から一声言いたい。Be Irish!! 聞きたいことがあったら適当に理由を作って話しかけるんだ! それで話がはずむんだったら、お礼としてなんか買ってしまえ! そして何気なくホストファミリーにプレゼントするんだ!! 

それはともかく、ここで一言断っておきたい。筆者が知らなかっただけで、当時のダブリンにはすでに中国の人が大勢住んでいた。すぐわかるが、中国の人はダブリンと切っても切れない関係だったのだ。

それにしても色んなものがあるところだ。たくさん並べられた木の椅子、アクセサリー、古本、マンガ、陶器、beanbags(ビーズのクッション)、そして服。その古着屋は大きな木造の倉庫に入っており、これでもかといわんばかりの量があった。古着特有の匂いをかぎながら、まだ開店直後で人もまばらな店内を真剣にチェック。何よりサイズが問題だ。当時の筆者は173cm、60kgちょい。痩せ形で、アイルランドの服は「S」でもちょっと大きいくらいだった。驚くほど巨大なMやLの服を押しのけていくと、あろうことかアラン・セーターで丁度良さそうなのがあるではないか!

aranknit.jpg

アイルランドの特産品、Aran Sweater - フィッシャーマンズ・セーターとも呼ばれる、元々アラン島の漁師たちの伝統的な着物である。

arancraft.jpg

首のタグには、さい果ての島アラン島が描かれている。盛り上がっているのはダン・エンガスの砦だろうか。

newwool.jpg

中を見ても、サイズは書かれていない。

handwash.jpg

アイルランド製、手洗いのみ可、らしい。ここは試着してみるしか! お店の人に断って袖を通してみると、ぴったりだった。そして何よりも、気になるお値段はたったの4ポンドである。当時のレートで600円くらいのもんだ。素晴らしい素晴らしい、来た甲斐があった、と思っていたら、またよさそうなものがあった。またぴったりのサイズの、銀色のジャンパー。日本だったら着ない色だし、何よりも上着はウールのピーコートを持ってきていたのだが、海外に出て強気になっているのか、それとも3ポンド50ペンスという値段に誘惑されたか、これも一緒にレジに持っていった。そしてあろうことか、それを上に着て帰った。なんかおのぼりさんみたいだが、ダブリンのシティセンターに戻るまでの間に3人の子供に「Hello!」と挨拶されたので、現地受けはよかったのかもしれない。宇宙飛行士みたいだからだろうか、と今になって思う。

ところでホストファミリーからはサンドイッチを持たせてもらっていた。これをシティセンターの下の方にあるセント・スティーヴンス・グリーンのベンチで食べた。サンドイッチはチキンとチーズとキュウリ。どの具材も味が濃くて美味しい。このPacket lunchは日本で言うところのお弁当になり、サンドイッチだけでなく紙パックのジュースと、チョコレート1本(確かマーズ)と、あと、リンゴが一個丸ごと入っていた。と言っても小振りなリンゴで、かじって食べるのに不自由はなかった。買い物も出来たし満腹だし、何よりもあれだけ住んでみたかったダブリンでこうして日曜をつつがなく過ごせていて、幸せをしみじみ感じた。

そのあとシティセンターをしばらく歩いて、勉強用のノートを買った。日本からルーズリーフのノートを持ってきてはいたが、雰囲気作りのため文房具も現地のものにしたかったのだった。安いのが見つかって良かった。上機嫌だったのだが、これからホストファミリー宅に戻るまで一苦労だった。

チャーチタウンのホスト宅に戻るバスの番号は「14」なのだが、バス停を探すのにかなり骨が折れた。しかも、やっと見つかったバス停でやっとバスが来たと思い、乗り込んでドライバーに「Churchtown」と言うと、来るときみたいに「1ポンドだよ」ではなく「チャーチタウンだったら14Aのバスだよ」という返事。どうして14と14Aと、番号がそっくりなのに全然違う路線なんだ!? と思ったが、もちろん現地のルールには逆らえない。自分がバス会社の人だったら、せめて14Aと14Bに分けるけどなあ、と思いながらThank you と言い、降りて正しいバス停を探した。

戻りのバスは意外と遅く、チャーチタウンに着いた時にはもう暗くなり始めていた。これまで春と夏にしか来た事がなかったから知らなかったが、冬のアイルランドは日照が短いのだ。家の庭ではマイケルが本棚を作っていた。日曜大工などしつつ、のんびり家族で過ごす日曜。やっぱりいいなあ、こういうの。ここで勉強タイム。

「Excuse me, what should I say when I come back to home?」
(すみません、家に帰った時には何というべきなんでしょうか)

「You can say anything you like ... like hello or good evening.」
(言いたいことを言えばいいんだよ(微笑)…まあハローとかグッドイーヴニングとか)

ここでマイケルが言った「言いたい事を言えばいいんだよ」はかなり後で気付いたが笑うところである。今の筆者なら「OK then, good morning!」とか言って冗談で返したりしそうなものだが、筆者が黙っており、通じなかったとわかったのだろう、一瞬の間の後、普通に答えてくれた。

家の中に入ると、ヒラリーは赤ちゃんのごはんタイムだった。朝はおかゆのようなものを食べさせてあげていたが、今回はミルクを哺乳瓶で作って、熱すぎないように水につけ、温度を調節して、飲ませていた。大人の食事はずいぶん違うけれど、赤ちゃんの食事は日本もアイルランドも変わらないな、と思った。

ところがホッとしたのも束の間、クリストファーとジュディ、ふたりの子供にまた遊んで攻撃を受けて大変だった。

* * *

なんとか夕食時になり、みんな食卓に付いた。大きなオーヴンから、チキンの丸焼きが出てきて、これまた大きなナイフで切り分けられ、それぞれのお皿に盛りつけられた。付け合わせはゆでた短冊切りのニンジンとマッシュポテト、それにゆでた小さなジャガイモ。さすがアイルランドの家庭、ジャガイモ尽くしである。陶器の小さなポットに、茶色いソースが入っており、それをチキンにかけて食べるよう言われた。何ですかこれ、と訪ねると「gravy(グレイヴィ=グレイビーソース)」という答え。それだけではわからなかったので、どうやって作るのか聞いたら、どうやら肉汁から作るらしい。細かいことが理解できないのは、英語力不足のみならず料理に関する知識不足でもあったり。そして最後に「実は今日のは、袋に入った粉末をお湯で割っただけ」というオチ。なんだそうなんだ。みんなで笑った。

それにしてもナイフとフォークで、チキンの骨と肉を切り離して食べるのは一苦労だった。日本だったらお皿に乗る前に骨は取り除かれているものだが。さすがにヒラリーとマイケルは、二人で何やら話しながら簡単に切り分け、口に運んでいた。テーブルマナーも勉強しなくては、と筆者は夫妻の手さばきをちらちらと見つつ、自分の皿に乗ったチキンを解体するのに全身全霊を込めた。そして、あまり会話には加われなかった。しかし今となっても、現地の生活に馴染むためには、テーブルマナーは言葉と同じくらい重要だと思っているので、あのとき頑張って良かったと思う。ナイフとフォークを拒否して手に持ってかじったりしたら、何より見た目が不快だし、子供さんの教育にも悪かっただろうから。

食後に和菓子の残りを食べつつ、ちょっと話し相手になってもらった。アラン・セーターを4ポンドで買ったと言うと、ヒラリーは「洗ったら縮むかもしれない」と言い、マイケルは「そうだね」と相槌を打った。値段のこともあり、あまり品質のいいセーターだとは思われなかったらしい。「wash gently with your hands, in cold water」 - やさしく、冷たい水で手洗いするように。そうすれば大丈夫だろうとのこと。ささいなことなんだけど、その気遣いが嬉しかった。

明日は月曜日、いよいよ学校が始まる。


小遣い帳
バス:2ポンド(片道1ポンド×2)
電車(DART):3ポンド(片道1.5ポンド×2)
珈琲:90ペンス
アランセーター:4ポンド
ジャンパー:3.5ポンド
学校用ノート:99ペンス

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