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ダブリン観光(2000) ブログトップ

再会、キンレイ・ハウス [ダブリン観光(2000)]

2000年1月18日(火)放課後
キンレイハウス・ホステル、ダブリンクライストチャーチ大聖堂前


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朝起きると英語が全然話せなくなっていた筆者。とてもスクールメイトと話したり、自習したりする気にはなれないので、現実逃避気味にシティセンターに出てきた。旧友が働いているという場所に、何のアポも取らずに行ってみる。大きな施設で大勢のスタッフがいるだろうから、普通これで会えないだろう。だが、わらにもすがる思いだった。

扉の前で立ち止まる。ダブリン国際ユースホステルと同じで、呼び鈴を鳴らして中から鍵を開けてもらうのだ。鍵の開く音がしたので扉を開き、中に入ると、右手に受付があった。そして、彼はそこにいた。

「ピーター!」

彼は電話中だったが、こちらに気付いて、受話器をもったままこちらに目で合図してくれた。去年と同じく愛想のいい笑顔。パソコンのモニターを見つつ、たまにマウスやキーボードをさわりながら電話を続けている。きっと予約の電話なのだろう。去年も、オーストラリアやアイルランドのネイティヴスピーカーと英語でぺらぺら話していてすごいと思ったが、受付までやってしまうとは。やっぱりピーターはすごい! 

「OK, thank you too. See you soon, bye」

そう言ってピーターは電話を切った。そしてカウンターをはさんで再会。

「K! びっくりしたよ! 元気かい?」
「元気だよ! ピーターは?」
「見ての通り忙しいけど元気だよ、…」

言うが早いか玄関の呼び鈴が鳴った。ピーターが奥に目をやって、カウンターの下で手を動かした。扉が開き、宿泊客らしき人々が入って来た。きっと防犯モニターを見てから、解錠スイッチを押したのだ。さっき入った時も、ピーターが開けてくれてたのかと思うとおかしかった。

今チャーチタウンのホストファミリーにいる、と言っても「チャーチタウン」が通じなかった。ダブリンには住宅街というかベッドタウンというか、外国人は普通知り得ないいくつもの郊外があるから仕方ない。ピーターはここから徒歩で通えるところに「フラット」を見つけて住んでいるという。また電話が鳴り始めた。ピーターは「Excuse me」と言って電話に向かった。

「Hello, Kinlay House, this is Pieter speaking. How may I help you? - yes sir, that's right. OK, ok, ...」

さっきも言ってたけど、忙しそうだ。帰ったほうがいいか。そう思って目で合図すると、ピーターは手で待つように合図した。電話が終わるまで待って打ち合わせをした。

「明日、休みなんだ。Kは?」
「学校が終わったら何もないよ。また会おうか。3時でどうかな」
「よし、3時だね。場所はどうしようか」


少し迷ったがどちらにもわかりやすい場所ということで、さっき前を通ってきたトリニティ・カレッジ(大学)の正門の前で待ち合わせすることにした。

ドアを出る時に、ピーターは「See you tomorrow, take care K」と言って笑顔で手を振ってくれた。OK、と笑って親指を立てた。おっ、なんか我ながらそれっぽいぞ、と自分で思いつつ、キンレイ・ハウスから路上に出た。行ってみてよかったなあ、と改めて思った。
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メイヴ・ビンチーのホームタウン、Dalkeyへ(2000) [ダブリン観光(2000)]

2000年1月16日(日)
朝から子供達はものすごい勢いだった。あの喧噪の中に出ていくのはかなわないので、こっそりトイレだけ行って部屋で勉強してた。マリアは今日でお別れ。

ほとぼりが冷めたかな、と思って階下に下りると、やはり子供達に捕まった。「朝ご飯食べたいから」と言って丁重に断ろうとするが、効果なし。しかしホストマザーのヒラリーが「Kはご飯食べるからダメよ」と言うとあきらめた。さすがママ。

食べていると上から物音がした。振り返って階段のところを見ると、ホストファーザーのマイケルが、大きな荷物を下ろしてきていた。マリアのスーツケースだ。マリアは同じ学校に通っていたがもうコース修了して、これからは市内の「フラット」を友達とシェアして住むとのこと。仕事はパブのウェイトレスだという。今まであまり話す機会がなかったけど英語は上手いし、面接も楽に通ったのだろう。外国のパブで働くなんて、すごい度胸じゃないだろうか。

別れはさっぱりしていた。マイケルとヒラリーが玄関口まで送っていく。そこからはタクシーだ。筆者はそこまで親しくなかったので(3回くらいしか顔を合わせていない)、キッチンにいたが、マリアは自分の姿をみとめて「Bye K! Nice to meet you!! (じゃあねK! 会えて良かったわ)と大きな声で挨拶してくれた。慌てて「Good Luck!!」と叫び返す自分。


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そのあと、支度をして家の近くのガソリンスタンド「Texaco」に行った。
(※余談だが昨日Google Mapで見たら更地になっていたのでびっくりした)
ここでイタリア人の友人、レンツォと待ち合わせなのだ。昨日も時間通りに来てくれたレンツォだが、今日はバッチリ時間前。こっちの方が遅くて恐縮したが、特にそれは問題にならず、二人で17番のバスに乗った。行き先はブラックロック。

お気に入りのブラックロック・マーケットを得意気に案内する筆者。レンツォの反応も中々良く、あろうことか筆者がアラン・セーターを4ポンドで買った古着屋で薄手のセーターを掘り出して、2ポンド50ペンスで買っていた。やるな、この男。

「よし、ダルケイに行こうか」

ここからが本番で、レンツォのガイドブックに載っていたDalkeyというところに電車でいく事になっている。それにしてもさすがイタリア人、見事なローマ字読みだ。英語だから絶対「ダルキー」だろ、と思っていたのだが、駅員さんの発音は「ドールキィ」。習うより慣れろ、かな?

電車の中で、あろうことかまたクリスティーナに遭遇した。クリスティーナは他に何人か友達を連れていた。これから「キッリネイ」に行くのだそうな。

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綴りはKilliney。キリニーじゃないだろうか、と思うがネイティヴのアイルランド人がいないと正確なところはわからない。

クリスティーナの連れは初めて見る顔も多かったのだが、簡単な挨拶をしただけで別な車両に行ってしまった。あれ? 実はクリスティーナはレンツォのことをよく思っていないのだが、この時は全くそんなことには気付かなかった。

そして電車はDalkeyの美しい海岸に到着…

emerald1070.jpg

…と思ったら曇っていた。

そして、最初の友達レンツォの勇姿(?)を撮ろうとしたら、景色を撮ろうとしてるんだと思われて避けられた。フィルムカメラだから撮り直す気にもなれず…

レンツォも海岸沿いが目当てではなかったらしい。地図を見ながら丘の方へ歩き始めた。丘に登って景色を眺めるのがメインだったのだ。道は険しくなく、我々はすぐ上に着いた。

…しかし、霧が出て来て景色はいまいち。本来このSorrento Parkから沖に浮かぶDalkey Islandが見えるらしいのだが…

運動にはなった、と思うことにした。帰り道でKing's Innというパブに入った。暖炉があって火が入っていて、文字通り暖を取ることができた。例によってギネス・ビールを飲んだのだが、レンツォがおごってくれた。暖炉の熱とギネスのほどよいぬるさが体中に心地よい。良い一日だった。


(おまけ)
Dalkey出身・在住の有名作家、メイヴ・ビンチーさんのインタビューです。アイルランド人特有の発音と語り口が伝われば何よりです。尚、日本語版は出てないようですが筆者は『Evening Class』が一番好きです。


(以下、筆者による抜粋+適当な訳)

メイヴ・ビンチー『愛しのアイルランド』

何が好きかって、アイルランドでは人とすごく手軽に話せるのがいいわ。
たまに外国に行く時に…そうね、例えばイングランドに行くでしょう。
あそこだと人と話すのがけっこう難しいのよ。
例えばバスを待ってるとするでしょう。他の人に話しかけるじゃない?
だってここじゃ、他の人と何も話さないで突っ立ってたらすごく失礼だから。

で、ロンドンに行った時ね、他の人に「このバスは○○行きですよね」とか聞いたのよ。
そしたらみんな逃げて行っちゃったのよ!
精神病院から出てきたんだと思われたのかしらね。
そのまま家についてきそうだとか、職場についていって隣に座ったりするとか。
それでも向こうの人は「帰ってくれ」って言えないのよね。言い方を知らないから。
アイルランド人はそういう時にどういうのかよーくわかってるのよ。
「じゃあ、これ以上あなたを拘束したくはありませんので」って言うでしょう、実は自分が帰りたいのにね!

あと、アイルランド人は誰でも、自分の考えを持っているのがいいわね。大きなビジョンを…人によっては間違ったビジョンだけど、とにかく大きいのよ。
イングランドの階級とかはよくわかんないわね。ここでは、そんなのバカみたいなものだなってみんな思ってるだろうし。

アメリカ人の方が話しやすいわ。みんな人見知りしないから。ほんとに全然人見知りしないのよ! でもどんな話がほんとに受けてるのかはいまいちわからないわ。私って大きくて長い話ばっかり書いてるでしょう? そんな感じで話してたら、たまに向こうの目が虚ろになってきてたりするのよ(笑) ひょっとしたらアメリカ人はもっと手短なのがいいのかもね。

でもやっぱりアイルランドが大好きよ。ここにいると、一点の曇りもなく「故郷」を感じるわ。みんな知ってるし、12年ぶりとか14年ぶりとかでも、この辺の人たちったら全然気にしないの。私たちが帰ってきたときも、みんな「最近見かけなかったね」って言うのよ、14年も外国に行ってたのに! 両親も健在だし、昔なじみの人たちも昔ながらのお店でまだ働いてるし、懐かしくて、素晴らしいわ。



Evening Class

Evening Class

  • 作者: Maeve Binchy
  • 出版社/メーカー: Dell
  • 発売日: 2007/05/29
  • メディア: ペーパーバック



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チャーチタウンで散髪(ダブリン南郊外) [ダブリン観光(2000)]


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2000年1月15日(土)
朝から散髪に行った。なんと5ポンド! 理容師さんとも話せたし良かった良かった。そのあと切手を買って5ポンド札を崩してバスに乗る小銭を作った。

筆者は外国で散髪するのが大好きである。アイルランドも前の旅行中に1回やった。この日もホストファミリーに聞いて、家からちょっと歩いたところにある散髪屋に行った。看板を頼りに木造の家の2階に上がると、朝早かったが地元の人々がけっこう入っていた。

革張りの重そうな回転椅子、古めかしい洗髪台…日本で言うと昭和後期くらいの設備だったので、あまり違和感がなかった。日本でも昔はこういうとこで切ってたなあ。

「Please just make it shorter」(短くして下さい)
「All right」(いいよ)

椅子に座って、いかにもアイルランド人という感じの気さくな老紳士に超適当なリクエストを出したあと、「へえ、英語の勉強ねえ。我々が早口で話すと困るだろう」「そうですねえ」などと気楽な会話をして、すぐ終わった。シャンプーもなしで、頭に沢山毛が残ってそうだ。しかしそれでも5ポンドは安い。大学の卒業式のため日本に帰るのは3月だが、また帰る前にでも来ないと。

床屋からさらにちょっと歩いてみると、Braemor Roadという道沿いに小さな店の建ち並ぶ一角があったのでここを散策。いつもはいているズボンが、連日の通学で泥ハネを受けていたので、クリーニング店で値段をチェック。ズボンは2ポンド90ペンスらしい。その後、文房具店と郵便局がいっしょになったような店に入って、切手を買ってお札を崩した。バスに乗るための布石である。それにしてもひどく無愛想なおばさんだった。さっきの散髪屋の人々とはえらい違いだ。やっぱりみんながみんなフレンドリーなわけではないのだなあ。

ホストファミリー宅に戻って、誰もいなかったので気兼ねなくシャワールームに入り、頭を洗う。やはりかなりの毛が流れ出てきた。排水口が詰まりませんように、と祈りつつ、次回はまず部屋で新聞紙でも敷いて残った毛を落とそう、と考えた。

部屋に「Kへ、ランチは冷蔵庫の中」というメモがあったので、降りてキッチンに行き、冷蔵庫からいつものpacket lunch - サンドイッチと果物とおやつのセットを取り出した。そして一人で大きなテーブルに腰掛けて食べた。シンクの向こうの窓から緑が見える。家の後ろにも庭があるのか。

サンドイッチを片手に立ち上がり、これまでチェックしていなかった裏庭を、ドア越しに眺めた。長方形の庭がまっすぐ伸びている。広いなあ。木がないから広く見えるのだろうか? 奥には子供用のブランコが据え付けてある。今のアイルランドは生活のレベルが高いのだなあ。英国の植民地政策によって何世紀にもわたって苦しめられてきたのだから、よかったなあと思う。しかし後日ベルギー人Pieterと再会した筆者は、貧しい地域を訪れ、幻想を打ち砕かれるのだった。豊かな人がいれば貧しい人がいる。それはどこに行っても同じなのだ。


2 p.m.

ホスト宅の近くのガソリンスタンドの前で、イタリア人の友人、レンツォと待ち合わせ。よく「イタリア人は待ち合わせに遅れる」というので覚悟していたが、普通に時間通りに来てくれた。彼いわく、朝はホストファミリーの庭仕事を手伝っていたのだという。

「I, work, with a machine, like, duh-duh-duh」
(機械で、働くんだ、こんなふうに、ドドドド)

シンプルな単語を単純に並べただけ、過去形にすらなっていない。両手を前に出して何かを押すジェスチャーと共に口をすぼめてエンジン音を再現してくれたからこそ、「庭の芝生を機械で刈っていた」ということがわかったが…。相変わらずたどたどしいなあ、と偉そうに思ってしまった。レンツォが発しているのは英語だけでなく、プラスアルファの部分のコミュニケーション能力が優れているという事実には、この時点では全く気付いていなかった。昨日の出来事から24時間も経っていないというのに…

一緒にバスでシティセンターへ向かう間も、ずっとレンツォと話していた。彼いわく、ホストファミリーはかなりの高齢で、今日の芝刈りも、どうやら彼が言い出して刈ってあげたようだ。さすが一児のパパ、人間ができてるなあ…と思ったら「疲れた疲れた、私はお金を払って来てるのに、これならお金をもらってもいいくらいだ」と言い出したのが面白かった。他にも家が古いからか部屋が寒いとか、夕食の量が少ないとか言っていた。

筆者は家は新しくて快適で、料理もたっぷりで美味しいけど、子供が3人もいて遊んであげるのが大変だと言った。

「子供か、それはいかん、きみは英語の勉強をしにきた。子供と遊んでも英語は身に付かない」

はっきり言われてしまった。筆者も最初こそ「子供でもネイティヴ」と思って、一緒に遊ぶ事により生の英語が習得できるはずだと信じていたのだが、一週間も経つとそれが幻想でしかなかったことに気付かされた。例えばいくら本物のネイティヴ英語でも、「Mommy」(マミー、アイルランド英語ではモミー、つまり「お母さん」)のような表現は筆者には使い道がない。しかしそれよりも重要なのは、言葉に頼らない遊びが多いというところである。しかしもう子供が自分を遊び相手として認識してしまっているので、突然やめるわけにも…どうしよう(汗)

筆者の悩みをよそにレンツォは他にも色々なことを話していた。風光明媚な海岸地域とか、レンタサイクルとか、そして、イタリアの素晴らしい町並みとか。

ドーソン通りでバスを降りると、ショッピング街のグラフトン通りにくり出した。まずは店の外から見るだけ。相変わらず、ここにあるClerksの店が気になってたまらない。


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それから脇道に入ると、カンペールのショップがあった。これって日本で人気あるよな〜と思うが、どうせ高いだろうから入らなかった。

そのあとは北上して中央郵便局、書店のEASONと、奇しくも筆者のいつものパターンだった。きっとレンツォも同じような店が好きなのだ。レンツォは奥さんと娘さんへということで色々なものを探していたが、あまりこれといっていいものがなかったらしい。最後に、最初に通りがかったグラフトン通りのClerksの店に入って靴を見た。Renzoは飾ってある靴を手に取り、先の部分を大胆に曲げてみて「Good」などと言っていた。しかし何も買わずに終了。

帰りのバスでは、同じクラスのクリスティーナと出くわした。自分と挨拶すると、レンツォに向かってイタリア語で話しかけたが、レンツォは「English please?」と聞き返したので、3人で英語で話せることになった。これはいい感じだ。

クリスティーナ曰く、顔にもっとピアスを付けたいので穴をあけに来たのだという。痛くてお金がかかって、化膿したら大変だけど、それでも付けたいらしい。筆者には全然わからなかったが、レンツォにもどうもわからなかったようで、その話題はそのまま終わった。次は我々のショッピングについて。

「でも、ダブリンでショッピングって、つまんなくない? 店も少ないし、大したもの売ってないし、高いしさ」

昨日に引き続いて遠慮なく言うクリスティーナ。筆者は正直に「I don't think so, it's all right」(そうは思わないな、まあまあだよ)と答えた。同じイタリア人のレンツォだが、「It is different」(別物だね)と静かに答えた。

このあと、クリスティーナが次の日に行く場所の話をしていると、レンツォが乗ってきた。

「海岸沿いはいいわよ。電車で行けるし」
「いいね」

すかさず口をはさむ筆者。

「じゃあさ、明日二人で行こうよ。チャーチタウンからブラックロックってところまでバスが出てるんだ。そこから電車でその場所まで行こう」

「よし、行こう」

こうして唐突に、次の日は海岸沿いを散歩することになったのであった。
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ダブリンバス乗車拒否、苦難の傘探し [ダブリン観光(2000)]

英語学校第3日目のことを書くにあたって、訂正しておかなければならない事がでてきた。月曜のオリエンテーションで、ダブリンバスのオフィスで定期を買った、と書いたのだが、実際買っていなかったようだ。この日の日記で、朝は歩いて学校に行ってるし、午後は…これから書く出来事があった。

2000年1月12日(水) 午後
学校を出た所でバスドライバーに乗車拒否された。何とかシティセンターにたどり着いて、DunnesとBootsに行ったが、目当てのレインコートは見つからなかった。…

今朝の天気みたいなのが何日も続いたらたまらない。そう思ったので、学校でお昼ご飯を食べてから、ダブリンのシティセンターに向かった。雨対策しなくては。しかし、学校を出てすぐのバス停に来ていたバスに乗ろうとしたら、ドライバーにこんな事を言われた。

「Do you have small change?」

あなたは小さな変化を持っていますか? 

ではなく

「小銭は持ってるか」である。

ちなみに「小さな変化」はa small change/small changesで、数えられるものと見なされる。小銭は数えられない、というか、もともと集合体だからそのままchangeになる(集合していなければa coin=硬貨になるだろうし)。

…なんてことを瞬時に考えて理解していたかと言えばそうではなく、5ポンド紙幣を出して乗ろうとした時に、ドライバーが怪訝な顔で言ったから「小銭の方だな」と思っただけである。無い、と言うとドライバーの反応はこう。

「Sorry, you need small change」
(悪いが小銭が必要だ)

つまり乗せてくれないのである。

当時のダブリンバスでは、一応プリペイドカードも出ていた(2回分とか変な回数の)が、普通は乗る時に所定の金額か、それより多い小銭を透明プラスチックの運賃箱に入れる。そして、二枚のプラスチック板に何かの標本のようにはさまれた小銭を、運転手が横から見ていくら入っているか数え、足りていればスイッチか何かを押して小銭を下に落とし、レシートを出してくれる。運賃が必要以上だった場合、差額はレシートに記載されていて、そのレシートをダブリンバス・オフィスに持って行けば現金で返してくれる、という仕組みだ。

この仕組みについては後日、担任のピーターから背景の説明があった。
たしかこんな感じだった。

「みんな、ダブリンのバスは不愉快だと思ったことはないか。まずドライバーの態度がでかい。そして、乗客のマナーが悪い。このラスガーやチャーチタウンみたいに、ホストファミリーの家があるような地域はまだいいが、よろしくない地域をまわるバスの乗客のマナーは最悪だ。車内でタバコを平気で吸い、ドライバーは見て見ぬ振りだ。襲われたら困るからな。

運賃を払うのがあんな妙なシステムになっているのはその証拠だ。ドライバーが金を受け取らないだろう。両替もしない。乗客の払った金は、厳重にロックされた運賃箱に入れなくてはならないからだ。他の地域ではドライバーがバス会社の金を預かっていて、客から紙幣を受け取ったり、釣り銭を渡したりするのが普通だが、ダブリンではバスドライバーが多額の現金を持っていると、強盗に遭う可能性が高いからな。おかげで不便なもんだ。小銭がないと乗れないし、釣りもあの紙切れをいちいち持って行って換金しなければならん。だから俺はダブリンに来てすぐ自転車を買った。よっぽど快適だ」

10年後の今ではどうなっているのか見当つかないが、当時のダブリンバスは本当にそうだったのだ。なおしばらく経ってからピーターの言うような「よろしくない地域」をまわるバスに乗る日が来るが、大変よろしくなかった。

ちなみに学校の前からシティセンターまでは85ペンス。この85ペンスがないために乗れないとは…しかもバスドライバーは、全く冷ややかで、助け舟ひとつ出してくれない。完全に自己責任ということである。

「あの運転手が自分の財布から小銭を出して、両替でもしてくれたらなあ。不親切だなあ」と思ったりもした。が、やはり例外は作ってはいけないのだろう。

筆者は学校に戻り、中庭のキャンティーン(喫茶室)に行った。そしてコーヒーを70ペンスで買って、5ドル札を崩した。

そしてバス停に戻って次のバスに乗り、シティセンターにたどり着いたのだが、こっちでもはかどらなかった。風が強い時のために傘よりレインコートだ、と思っていたのだが、これが売っていないのである。何でも売ってそうなスーパー、Dunnes Storesに行ってみたが空振り。ひょっとしたら、と思って行ったドラッグストアのBootsもダメ。レインコートどころか傘すら売ってない。そう言えば、去年の2回の旅行でも、今回のホストファミリー宅でも、傘をさしてる人はいただろうか? なんか、いなかったような気がしてきた。

アイルランド人はみんなどうやって雨風をしのいでいるんだ? と考えつつ、気付くと足はオコンネル橋のお土産屋に向かっていた。ここは旅行中によくお土産を買いにきたし、いつもかかってるアイリッシュ・ミュージックがいい感じだからである。疲れていたのだ。

きらびやかなお土産屋の中で、軽快な音楽を聞きながら色々な商品を眺めていると、さっきまでの苦労が嘘のようだ。…おや、ある、あるじゃないか!

折り畳み傘、そしてレインコートも。

写真は残っていないのだが、ここで重要なのは両方緑色だということである。さすがアイルランドのお土産屋、イメージカラー一色とは。

悩んだ挙げ句、予定変更して折り畳み傘を買った。全身緑色のレインコートはさすがに奇抜すぎる気がしたし、それに、傘の2倍以上の値段だったということもある。オールグリーンの折りたたみ傘は2ポンド99ペンス。当時のレートで430円くらいだ。ついでにカレンダーとペンを2本買ったが、帰りのバス代1ポンド5ペンスがなくならないよう気をつかった。

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傘はもう手元にないけれど、その時買ったIrish Writers Calendar 2000(アイルランド人作家のカレンダー)は今でも写真部分だけ切り取って飾ってある。ちなみに検索してみたところ、今でも同じデザインで売っているらしく、なぜかホッとした。

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(↑Real Ireland Design ホームページより)

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オリエンテーション(2)Messrs Maguire [ダブリン観光(2000)]

2000年1月11日(火)
オリエンテーションでパブに行った。ふたりの日本人と、英語で話した。「ラスティ」という名前の、オリジナルのビールを飲んだ。2パイントでもうかなりダメな感じ。

午前の、ピーターの授業が終わってから15分の休憩を取り、すぐ教室に戻って昨日と同じケイトの、スピーキングの授業を受けた。やはり隣はクリスティーナ。ケイトは先程と同じく「like」を使った文章を、実際の会話で使うよう促した。なんか我々ばっかり話してて(もしくは、話そうとしてて)先生はそれを遠間から伺っているだけな気がするが、これでいいのだろうか。それにしてもクリスティーナはよく話す。きっとこれでいいのだ。

授業が終わってから、オリエンテーション第二弾に参加した。今日はアイルランドの神髄、パブである。いわば酒場だ。パブに入ってギネスを飲む、というのがアイルランドでは当たり前の光景なのは、去年の旅で見た通り。さっきピーターも例文で「ギネスを一杯」とか言ってたし。行き先は、シティセンターのリッフィ川に面するMessrs Maguireというパブだ。


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ちょっと待て、「マグワイアー」はわかるけど、その前の「Messrs」って何だ? 慌てて辞書を引く筆者。

Messrs pl. of Mr.
(Oxford English Minidictionaryより)

つまり「MessrsはMr.のpl.である」。わからないっ!
次いでpl.の意味を調べる筆者。pluralの略、との事。つまり複数形か。つまりこうか。

Mr.=○○氏
Messrs=○○氏たち

同じ名字の人々がやってるビジネスなのか? つまり親子とか? いや、それなら○○&Sons(息子達)という会社名もあると思うが…
手持ちのミニ英英辞書ではこれ以上調べられないし、何よりも実生活に影響があるとは思えないので、とりあえず気にしないことにした。今気にすべきはパブで、それから他の生徒との交流だよ。

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そのパブは複数のフロアがあって、ちょっと高級な感じだった。引率スタッフの話だと、ここでオリジナルのビールを作っているということ。黄色、赤、黒、いろいろあったが赤にしてみた。その名はRUSTY (ラスティ=錆び付いた)。異様な名前だが、あっさりしてて飲みやすい。ちなみにお値段は2ポンド半で、そのへんで飲むギネスと変わらない値段だった。

この日の日記には「日本人ふたりと英語で話した」と書いているが、一人が誰だったか思い出せない。そんなに酔っていたとは思えないのだが…覚えているのは年配のヒデさん。定年退職後にアイルランドに来た人だ。この後日、「日本人相手でも英語で話すというのは素晴らしい」と何度も言われることになるから覚えているのだ。実はこれ、筆者のアイデアではなく大学の友人がアメリカ留学中にやっていたことなのだが。

もう一人は若いヒゲの男だったと思うが、残念ながら覚えていない。きっと同席したけどあまり話さなかったのだろう、ということで。

他の人々と話していたレンツォが、そろそろ引き上げないかと誘うので途中まで一緒に帰ることにした。記念にコースターを一枚持って帰った。せっかく色々なコースターがタダでもらえるのだから、コレクションすることにしよう。タバコの匂いには閉口した(※)が、楽しい一夜だった。

なおこの話には後日談がある。
それは、今となっても筆者がMessrsの正しい発音を知らないと言う事だ。「メサーズ」みたいになるらしいが、誰かが会話の中で使用するのを一度も聞いた事がないため、言い切れない。しかし10年間一度もそれで困った事もないから、別にいいだろう。


※筆者註
当時はパブ内の喫煙が合法だった。
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ブラックロック・マーケットで買い物 [ダブリン観光(2000)]

2000年1月9日(日曜)
早く起きた。8時。ちょっと寒かったが、カゼなんかはひいてないのでよかった。3歳の娘さん、ジュディに改めてごあいさつ。とても元気な子で、お兄ちゃんのクリストファーと一緒になるとすごい騒ぎになる。
朝食はシンプルなコンティネンタルブレックファースト。シリアルに牛乳とフルーツジュース、あとコーヒー。食べたが早いか、子供たちとの戦いに巻き込まれた。…

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昨日はもう遅かったのでほとんど何も交流がなかったジュディちゃん3歳。日記によると、起きぬけに「遊んで攻撃」を受けたらしい。お母さんのヒラリーが、「3歳はいちばんhyper(ハイパー=すごい)」みたいなことを言っていたのをよく覚えている。そこに当然、クリストファー6歳も入ってきてえらい騒ぎだった。ヒラリーとマイケルは手分けして、ふたりの子供と赤ちゃん(レイチェル)の朝食をなんとかする。筆者は英語を話して練習したいところだが、あまりにも忙しそうなので声をかけられない。そうこうしているうちに子供たちの食事はすぐ終わり、筆者に矛先が向いたのだった。ところで筆者は子供とあまり縁がなく、英語もあまり知らなかったが、遊んであげることはできた。なぜなら、何を「して」と要求されているのかはだいたいわかったし、こっちがわからなくても直接やるから(例=肩に登ろうとする)

喧噪の中、なんとかヒラリーにCity Centreへ行くバスの番号を聞き出して、子供たちを振り切ってホスト宅を出た。海外ドラマに出てきそうな住宅の建ち並ぶ通りを歩いて抜け、交通量の多い通りに出ると、すぐ左手にバス停があった。

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(↑Google Mapより。ホスト宅はもうちょっと左側、バス停は右上の方。なおヘンレイパークではなくヘンリーパーク)

バス代は1ポンドちょうどだった。二階建てのバスの二階に腰を下ろすと、いい感じの住宅地が窓から見える。そこをスイスイ走ると、建物が多くなってきて、乗客も増えてきた。やがて見覚えのあるセント・スティーヴンス・グリーンが見えたので、このへんで降りれば大丈夫だと思って降りた。

まずはDawson Streetを北に歩いて、リフィー川に面したAston QuayにあるUSITのオフィスを目指した。ここは学生向けの旅行会社で、国際学生証も作ってくれる。留学第一歩の記念に、留学先の「Emerald Cultural Institute」の名前の入った国際学生証を作ってもらおうと思ったのだが、残念ながら日曜は休みだった(ちなみに10年経った今でも日曜は休みのようだ)。まあいいや、と思ってリフィー川にかかる橋を渡り、オコンネル通りへ。ダブリンのメインストリートとも言えるところで、前に旅行に来た時にはあてもなくこの通りを登ったり下ったりして楽しんだものだった。

ここにはEason'sという大きな書店があって、その上の階に「Muse Cafe」という感じのいいカフェが入っていたのだが、1999年の夏の終わりごろには改装工事をしていた。あれから半年、きっともう工事も終わっているだろうから、新しい店内でコーヒーでも飲もうと思っていたのだが、そこは日曜、まだ開店前だった。日曜は昼かららしい。またまた残念。

それにしてもちょっと冷えるなあ。よし、服でも買いに行くか。そう思った筆者が目指したのは、1999年の春に他の日本人旅行者にもらった「地球の歩き方」に出ていたマーケットのひとつである。前回の旅行では町中にある古着屋でけっこういい思いをさせてもらったので、今回は郊外にあるところに行く事にした。その名も、Blackrock Market - ブラックロック・マーケット。「ブラックマーケット」ではないので注意が必要だ(←当たり前だ)

マーケットのあるブラックロックまでは電車でほんの少し。前回も乗った事のあるDARTという電車に乗って、南へ向かう。

特に何事もなくブラックロック駅に着き、歩いてマーケットの前まで行ってみると、まだオープン前だった。

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(↑Wikipedia「Blackrock」より)

すぐ横にカフェがあったので、これ幸いと入ってコーヒーを頼む筆者。一杯たったの90ペンスだと思うと、さらに美味い。ところが飲んでいると、アジア人の若い女性が入ってきた。こんな郊外にアジア人? と一瞬びっくりしたのだが、それだけではなく、彼女は店の人に、ぺらぺらぺらっと挨拶とオーダーをして、お金を払って去って行った。全部は聞き取れなかったが、どうやらランチを予約したようだった。すごく流暢な英語だった。いったい何人なんだろう? どうやって英語を学んだんだろう? 興味津々の筆者だったが、マーケットに入ると彼女は中国風の品物がたくさん並んだお店で働いていることがわかった。いろいろ聞きたいところだが、中国風の品物には興味はなかったし、働いている人に雑談をしかけることはできない筆者であった。10年後の自分から一声言いたい。Be Irish!! 聞きたいことがあったら適当に理由を作って話しかけるんだ! それで話がはずむんだったら、お礼としてなんか買ってしまえ! そして何気なくホストファミリーにプレゼントするんだ!! 

それはともかく、ここで一言断っておきたい。筆者が知らなかっただけで、当時のダブリンにはすでに中国の人が大勢住んでいた。すぐわかるが、中国の人はダブリンと切っても切れない関係だったのだ。

それにしても色んなものがあるところだ。たくさん並べられた木の椅子、アクセサリー、古本、マンガ、陶器、beanbags(ビーズのクッション)、そして服。その古着屋は大きな木造の倉庫に入っており、これでもかといわんばかりの量があった。古着特有の匂いをかぎながら、まだ開店直後で人もまばらな店内を真剣にチェック。何よりサイズが問題だ。当時の筆者は173cm、60kgちょい。痩せ形で、アイルランドの服は「S」でもちょっと大きいくらいだった。驚くほど巨大なMやLの服を押しのけていくと、あろうことかアラン・セーターで丁度良さそうなのがあるではないか!

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アイルランドの特産品、Aran Sweater - フィッシャーマンズ・セーターとも呼ばれる、元々アラン島の漁師たちの伝統的な着物である。

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首のタグには、さい果ての島アラン島が描かれている。盛り上がっているのはダン・エンガスの砦だろうか。

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中を見ても、サイズは書かれていない。

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アイルランド製、手洗いのみ可、らしい。ここは試着してみるしか! お店の人に断って袖を通してみると、ぴったりだった。そして何よりも、気になるお値段はたったの4ポンドである。当時のレートで600円くらいのもんだ。素晴らしい素晴らしい、来た甲斐があった、と思っていたら、またよさそうなものがあった。またぴったりのサイズの、銀色のジャンパー。日本だったら着ない色だし、何よりも上着はウールのピーコートを持ってきていたのだが、海外に出て強気になっているのか、それとも3ポンド50ペンスという値段に誘惑されたか、これも一緒にレジに持っていった。そしてあろうことか、それを上に着て帰った。なんかおのぼりさんみたいだが、ダブリンのシティセンターに戻るまでの間に3人の子供に「Hello!」と挨拶されたので、現地受けはよかったのかもしれない。宇宙飛行士みたいだからだろうか、と今になって思う。

ところでホストファミリーからはサンドイッチを持たせてもらっていた。これをシティセンターの下の方にあるセント・スティーヴンス・グリーンのベンチで食べた。サンドイッチはチキンとチーズとキュウリ。どの具材も味が濃くて美味しい。このPacket lunchは日本で言うところのお弁当になり、サンドイッチだけでなく紙パックのジュースと、チョコレート1本(確かマーズ)と、あと、リンゴが一個丸ごと入っていた。と言っても小振りなリンゴで、かじって食べるのに不自由はなかった。買い物も出来たし満腹だし、何よりもあれだけ住んでみたかったダブリンでこうして日曜をつつがなく過ごせていて、幸せをしみじみ感じた。

そのあとシティセンターをしばらく歩いて、勉強用のノートを買った。日本からルーズリーフのノートを持ってきてはいたが、雰囲気作りのため文房具も現地のものにしたかったのだった。安いのが見つかって良かった。上機嫌だったのだが、これからホストファミリー宅に戻るまで一苦労だった。

チャーチタウンのホスト宅に戻るバスの番号は「14」なのだが、バス停を探すのにかなり骨が折れた。しかも、やっと見つかったバス停でやっとバスが来たと思い、乗り込んでドライバーに「Churchtown」と言うと、来るときみたいに「1ポンドだよ」ではなく「チャーチタウンだったら14Aのバスだよ」という返事。どうして14と14Aと、番号がそっくりなのに全然違う路線なんだ!? と思ったが、もちろん現地のルールには逆らえない。自分がバス会社の人だったら、せめて14Aと14Bに分けるけどなあ、と思いながらThank you と言い、降りて正しいバス停を探した。

戻りのバスは意外と遅く、チャーチタウンに着いた時にはもう暗くなり始めていた。これまで春と夏にしか来た事がなかったから知らなかったが、冬のアイルランドは日照が短いのだ。家の庭ではマイケルが本棚を作っていた。日曜大工などしつつ、のんびり家族で過ごす日曜。やっぱりいいなあ、こういうの。ここで勉強タイム。

「Excuse me, what should I say when I come back to home?」
(すみません、家に帰った時には何というべきなんでしょうか)

「You can say anything you like ... like hello or good evening.」
(言いたいことを言えばいいんだよ(微笑)…まあハローとかグッドイーヴニングとか)

ここでマイケルが言った「言いたい事を言えばいいんだよ」はかなり後で気付いたが笑うところである。今の筆者なら「OK then, good morning!」とか言って冗談で返したりしそうなものだが、筆者が黙っており、通じなかったとわかったのだろう、一瞬の間の後、普通に答えてくれた。

家の中に入ると、ヒラリーは赤ちゃんのごはんタイムだった。朝はおかゆのようなものを食べさせてあげていたが、今回はミルクを哺乳瓶で作って、熱すぎないように水につけ、温度を調節して、飲ませていた。大人の食事はずいぶん違うけれど、赤ちゃんの食事は日本もアイルランドも変わらないな、と思った。

ところがホッとしたのも束の間、クリストファーとジュディ、ふたりの子供にまた遊んで攻撃を受けて大変だった。

* * *

なんとか夕食時になり、みんな食卓に付いた。大きなオーヴンから、チキンの丸焼きが出てきて、これまた大きなナイフで切り分けられ、それぞれのお皿に盛りつけられた。付け合わせはゆでた短冊切りのニンジンとマッシュポテト、それにゆでた小さなジャガイモ。さすがアイルランドの家庭、ジャガイモ尽くしである。陶器の小さなポットに、茶色いソースが入っており、それをチキンにかけて食べるよう言われた。何ですかこれ、と訪ねると「gravy(グレイヴィ=グレイビーソース)」という答え。それだけではわからなかったので、どうやって作るのか聞いたら、どうやら肉汁から作るらしい。細かいことが理解できないのは、英語力不足のみならず料理に関する知識不足でもあったり。そして最後に「実は今日のは、袋に入った粉末をお湯で割っただけ」というオチ。なんだそうなんだ。みんなで笑った。

それにしてもナイフとフォークで、チキンの骨と肉を切り離して食べるのは一苦労だった。日本だったらお皿に乗る前に骨は取り除かれているものだが。さすがにヒラリーとマイケルは、二人で何やら話しながら簡単に切り分け、口に運んでいた。テーブルマナーも勉強しなくては、と筆者は夫妻の手さばきをちらちらと見つつ、自分の皿に乗ったチキンを解体するのに全身全霊を込めた。そして、あまり会話には加われなかった。しかし今となっても、現地の生活に馴染むためには、テーブルマナーは言葉と同じくらい重要だと思っているので、あのとき頑張って良かったと思う。ナイフとフォークを拒否して手に持ってかじったりしたら、何より見た目が不快だし、子供さんの教育にも悪かっただろうから。

食後に和菓子の残りを食べつつ、ちょっと話し相手になってもらった。アラン・セーターを4ポンドで買ったと言うと、ヒラリーは「洗ったら縮むかもしれない」と言い、マイケルは「そうだね」と相槌を打った。値段のこともあり、あまり品質のいいセーターだとは思われなかったらしい。「wash gently with your hands, in cold water」 - やさしく、冷たい水で手洗いするように。そうすれば大丈夫だろうとのこと。ささいなことなんだけど、その気遣いが嬉しかった。

明日は月曜日、いよいよ学校が始まる。


小遣い帳
バス:2ポンド(片道1ポンド×2)
電車(DART):3ポンド(片道1.5ポンド×2)
珈琲:90ペンス
アランセーター:4ポンド
ジャンパー:3.5ポンド
学校用ノート:99ペンス

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