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初登校! 初放課後!! [英語留学(ダブリン2000)]

2000年1月10日(月) 授業終了後。
1時くらいに昼食。最初の友達、レンツォがランチを一緒に食べようと誘ってくれた。スペインから来てる人がさらに2人来た。イサベルとホルヘ。みんな英語はまだまだみたいだ(自分も含めて)。昼食が終わったら、新入生オリエンテーションということで、皆でシティ・センターへ行った。

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(初日にもらうエメラルド特製通学カバン)

授業が終わると、みんな教室から出て行った。ハナさんとマホさんの日本人女性ふたりだけが残って何やら話している。二人に「Bye」と言って教室を出ることにした。ハナさんはどうやら不安なことが幾つもあるらしく、深刻な顔で、マホさんと日本語で話し合っていたのだが、筆者は日本語を話すつもりはなかった。そこで部屋を出る前に、二人に話しかけてこう言ってみた。

「Excuse me, I would like to speak in English, is it OK?」
(英語で話したいんだけど、いいかな)

マホさんが「Yes it's all right」(いいわよ)みたいに、とっても素な返事をした後、ハナさんは自分の顔をまじまじと見て「Yes, yes」と言った。そして筆者の反応は、

「OK, thank you. Bye, see you tomorrow」
(おっけ、ありがとう。じゃあね。また明日)

であった。

後々マホさんから何かあるごとに「Kといえば初対面の時のあの挨拶が強烈な印象」と何度も何度も何度も何度も(略)言われるのだが、今思い起こしてみると確かにそうだ。だってその話の始め方だと「これから何か重要なことを英語で話すぞ〜」という風にしか思えないのに、挨拶だけ英語でして去って行ったのだから。

ところが当時の筆者は「よしこれで日本語を話さないと言う意志は伝わったはずだ。アイルランドまで来てるんだから日本人同士でも英語で話さないとな! それにしても、またエクスキューズミーで会話を始めてしまった。反省」などと全く別なことを考えていたりしたのだった。

教室を後にして、とりあえず小さな校舎だしあちこち見て回ろうと思ったら、朝話したイタリア人とまた会った。レンツォ・ロンコーニ41歳。「これからランチにしないかね」というので、二人で一緒に一階に降りて、裏口のドアから出た。

裏口のドアを出るとそこは中庭だった。ちょっとした運動ができそうな広さだった。すぐ右手に、本館につかず離れずの微妙な距離で小さな建物があった。「あそこで食べよう」とレンツォ。ドアを開けると、かなりの数の生徒が集まっていて、例のパケット・ランチのサンドイッチのセットや、スナック菓子を広げて、昼食をしていた。テーブルは10席、椅子は30~40くらいあるがほとんど埋まっていて、運良く座れて良かった。奥の方を見るとカウンターがあり、なんか授業料を払いに上に行った時に見かけた人が、奥にたたずんでいた。事務員さん兼業なのだろうか?

席に着くと、元気でにぎやかな声が耳に飛び込んでくる。ひっそりとしていた自分の授業中とは大違いだ。聞こえてくるのは英語ではなかったが。

「Italian」

筆者があからさまにキョロキョロしていたからか、レンツォが小さくそう言った。普通に考えると「イタリア語だよ」という意味なのだが、レンツォは「イタリア人だ」つまりItaliansと言いたかったらしい。そうわかったのは街に出てからだが。

「Hi, Renzo」

席に座って、サンドイッチを食べかけていた我々にそう言って声をかけてきた男がいた。背が低く、丸顔で、ぽっちゃりしていて、髪は短く刈り込んでいる。善良そうな人だなあ、という第一印象。自分も挨拶をしようとしたが、その横にもう一人女性がいるのに気がついた。こちらは黒っぽい、ウェーブのかかった髪の、細身の女性。背は低くて、目は茶色で、なんとなく親しみのある顔をしている。アジア人とは全然違った見た目なのだが、いわゆる「ガイジン」というのとは違う感じがする。

「ホルヘ! どうだい調子は、私の友達のKを紹介するよ」

レンツォは椅子から立ち上がり、両手を広げると、大きくてのびのびした声でゆっくりそう言うと、筆者の方に向き直った。広げた両腕の片方が筆者の方に向いた。何とも堂に入った紹介の仕方ではないか。つられて立ち上がり、右手を差し出す筆者。

「Nice to meet you, my name is K」(初めまして、Kです)
「Nice to meet you, I'm Jorge. And she is my friend Isabel」(初めまして、ホルヘです。こちらは友達のイサベル)

ホルヘの握手はがっちりとしていて、握手をし慣れている感じだった。イサベルと紹介された女性とも同じようにして自己紹介して握手した。

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ホルヘ(後日、ブラックロックにて)

Where are you from?「どこから来たんですか」と二人に聞くと、「Spain」(スペイン)とのこと。二人ともスペイン人か。そう言えば去年旅行中にスペイン人の二人組に出会ったが、ほとんど話らしい話もしなかったっけ。どんな人たちなんだろうか。

胸の奥の好奇心の炎がさらに火勢を増している筆者だったが、とりあえずはおとなしくサンドイッチを食べることにした。…ところが、他の3人が話す事話す事。そうか、英語圏には「食事は楽しく会話をしながら食べるもの」というルールがあるが、イタリアでもスペインでも同じなのか。そうとわかれば、と思って会話に参加したかったが、なかなかうまくいかない。決して空腹のあまりサンドイッチに気を取られているわけではないのだが、結局、ホルヘとイサベルは二人でスペイン語で話し続け、レンツォは黙ってしまった。しばらくしてレンツォが二人をさえぎって、こう言った。

「Excuse me, please speak English, because I don't speak Spanish」
(すまないが、英語を話してくれないか、スペイン語はわからんのだ)

筆者はちょっとびっくりしたが、ホルヘとイサベルは「sorry!」という反応。そして、今度は英語で話し出した。筆者と同じくらい、もしくはもうちょっと、たどたどしい感じだったが、それでもレンツォはその会話に参加して、ゆっくりとではあるが、3人での話を展開させていった。

ふと、大学の異文化間心理学の時間に習った、「アメリカ人留学生が日本のホストファミリーのところに到着後、始めての食事の時、頑張って片言の日本語で場をもりあげようとしたら『もうちょっと静かにしてくれないか』と言われてショックを受けた」という逸話を思い出してしまった。今のこれはその話とは正反対の状況だ。いかん、3人ではなく4人で話さないと! 頑張って話を聞き取ろうとして真剣な顔をして、それぞれ話している人間の顔を見ているが、これが中々難しい。そのうち、レンツォが「Kはどう思う?」と話を振ってくれた。ありがたい限り。

たどたどしい4人でしばらく話していると、そろそろ時間だ、という声がかかった。エメラルド・カルチュラル・インスティテュートには課外活動(自由参加)があり、今日の活動は「新入生歓迎 市内オリエンテーション」みたいなものなのだ。行きますか、と他の3人に聞くといずれもYesという答え。というわけで皆で、学校を出て右にちょっと行ったところにあるバス停まで行った。学校の送迎バスではなくて普通の市バスだった。

* * *

筆者はシティセンターは去年の旅行の時にかなり歩いたから、それほど目新しくはなかった。それでも、まだ自分の知らない場所があるかもしれないと思って注意深く、引率の人の話に耳を傾けていた。引率は年配のご婦人で、慣れているらしく、ゆっくり、はっきり、簡単な表現で話してくれる。やがて我々一行はオコンネル通りまで到達した。まずはGeneral Post Office(中央郵便局)を見学。筆者もお世話になったが、週末でも営業している便利なところだ。

ふと、物騒な単語が耳に飛び込んできた。「Easter Rising」「fight for independence」「executed」…イースター蜂起、独立への戦い、処刑された…。近代アイルランドの歴史はイギリスとの確執なしには語れないが、ここもその舞台だったのか。何度となく来ていたが、全く知らなかった。
(※1916年4月、アイルランド独立派による武装蜂起が起き、一週間の戦いの末に鎮圧され、首謀者は処刑された。蜂起は失敗に終わったが、今後の一連の戦いの火蓋を切る事件であった)

今更ながら、常に外国の侵略にさらされてきたアイルランドの闇を垣間みた気がした。

「はい、ここはダブリン・バスオフィス。Bus Pass(バス定期)が欲しいならここで学生証を見せて買うのよ」

外に出てちょっと歩いたところにある、やたら散らかっていて人の多いオフィスに来ると、引率の女性はそう言った。そう言えば学生証ももらってたっけ。ホストファミリー宅から学校まではけっこう距離があったので、定期購入。他のみんなも買っていたようだった。

ここでオリエンテーションは終了。あとは好きにして下さい、とのことである。日本だったら丁重に学校まで送迎して戻してくれるだろうが、ここはアイルランド。人によってはこのやり方だとものすごく不安になるだろうが、筆者にとってはこの方がいい。せっかく来ているのだから、学校とホストファミリーの往復だけで終わるなんてごめんである。ちなみに英語力や方角に不安のある人は、この引率の人に連れて帰ってもらうよう頼めばいいらしいが。

さてこれからどうしようか、とレンツォ、ホルヘ、イサベルと相談した結果、もう一度さっき通った活気のある通りを通ってみることに。その方角は筆者の大のお気に入りスポット、セント・スティーヴンス・グリーンである。賛成して、ついでに「公園行こう」と提案。みんな賛成。

オコンネル通りから橋を渡ってリッフィ川を越え、ダブリン一のショッピングストリートと言われていたグラフトン通りを通り抜ける。連れの3人はウィンドウで値札を見たりしていたが、何も買う気はないらしい。筆者も同様だ。

公園は相変わらず広々として気持ちよかったが、寒かったので「コーヒー飲もうか」ということになった。というわけでセント・スティーヴンス・グリーンの反対側にあるショッピングセンターに行ってみた。

EPSON020.jpg

そう言えば去年の旅の最後あたりに来たらコンサートをやったなあ、と思い出しつつ、入ったことのなかったカフェに入って席を取った。窓越しにさっきまでいたセント・スティーヴンス・グリーンが見えるいい席だった。

みんなコーヒーを注文。イサベラだけは紅茶だった。ようやくカフェイン補給できてホッとした筆者だったが、レンツォとホルヘは不満顔だった。「too much water」(水分が多すぎる)とのこと。そうだろうか? とこの日は深く考えなかった筆者だったが、しばらくしてイタリア人・スペイン人にとってのコーヒーとは何か、学校で嫌と言うほど見せつけられることになる。

とりあえずまだ会ったばかりなので、年齢、職業、家族構成について話した。レンツォは41歳、事務員、一児のパパだと聞いていたが、ホルヘは35歳、メカニカルエンジニア、3児のパパだという。若く見えると言うか童顔なのでみんな驚くと、ホルヘは財布から写真を出して見せてくれた。パパと同じく柔和そうな顔をした、3人の女の子が映っていた。笑顔で「Very nice!!」と言うレンツォ、「Thank you!!」と笑顔で答えるホルヘ。自分は何と言えばいいか? 「みんなかわいいですね」と言って変な誤解を受けたらどうする?(←よっぽど邪悪な顔をしてない限りそんな事はない)

「They are ... lovely!」(娘さんたち…可愛らしいですね)
「Thank you!!」(ありがとう!)


よ し !

ホルヘの笑顔を見て「うまく伝わった」とわかった瞬間に心の中でガッツポーズを取る自分だった。続けてイサベルがスペイン語でホルヘとなにか話し始めたので、じっくり余韻にひたることができた。

「Please, English, please」
(英語、頼むよ、英語)

もはや文法もなにも使わず、単語を並べて間に入るレンツォ。これも、よくやるもんだと思う。しかしもっとびっくりすることには、そんな事を言って話の流れを止めてしまっても、特に険悪な雰囲気にならないことだ。みんな大人だなあ。

…と思ったのは束の間、イサベルは23歳、筆者と同い年だとわかった。
「スペインではいい仕事がなくてね。学校が終わったらここで仕事を探そうと思ってるの」

これを皮切りに、場は一気に燃え上がった。

いわく、不況のスペインの恐るべき就職難。

いわく、もともとスペイン人の仕事さえないところへ、モロッコ人が不法にやってきて仕事を取ってしまう。

そして、アイルランドの好景気と、物価の高さ。スペインのペセタ、イタリアのリラを持ってくると価値が大幅に下がってしまうが、アイルランドで働き、アイリッシュ・ポンドを本国に持って帰れば価値が一気に膨らむ。そして、アイルランドで1年か2年働けば英語も話せるようになり、スペインに戻っても就職が有利。そんな話が、主に3人の間で熱っぽく交わされた。英語力が全然障害になっていないようだった。おっとまた聞いてばっかりになってしまった、と、頃合いをみて「モロッコ人移民ってそんなに多いの?」と聞いてみた。正確な数は不法移民なのでもちろんわからないが、相当数いるとのこと。レンツォは、イタリアにはアルバニア人が大勢流れてきている、と言った。「How about Japan?」(日本では?)と聞かれたが、ボートピープルはけっこう前の話だし、筆者の当時住んでいた大阪の片田舎では外国人はほとんどいなかった。いるとしてもそれこそ留学生か、何かの講師だった。「Not really」(いや、あまり)と本当のところを答えたのだが、話す事がなくてちょっと悔しかった。いかんいかん、不法移民が問題にならないのはいいことなのだから。

そして、レンツォが改めて「うちの学校はイタリア人が多すぎる! どこに行ってもイタリア人だらけで、アイルランドに来てるのにイタリア語しか聞こえてこないんだ! わたしはいろんなイタリア人とイタリア語で交流するためにアイルランドまで来たんじゃない! と熱弁をふるった。なぜかはわからないが確かに多い。筆者は実はそれを知っていて「日本人が少ないんだったらいいじゃん」ということで入学したのだが。イサベルいわく「スペイン人もけっこういるわよ」とのこと。そう言えばうちのクラスのヘススって男の子はメキシコだから、スペイン語か。

小1時間ほどいて、帰ることにした。みんな別のバスのようだった。筆者の乗ったバスは異様に混雑しており、驚いた。ダブリンにも夕方の帰宅ラッシュがあるのだなあ。

こうして、密度のものすごく濃い登校初日は暮れつつあった。
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